もう5月もおわりに近づいている。
この記事を書き始めてから2週間も経ってしまった。やっぱり文章を書くのはむずかしい。
ゴールデンウイーク中、帰省していた。
自分は帰省するつもりは全くなかったが気がついたら飛行機に乗せられた。
前の人が見ていた上空の映像で見事に酔い、スープを頼んだのにお茶ですねと言われて酔って気持ち悪かったので何も言い返せずお茶を飲み干した思い出しかない。
ああ、棚を買って組み立てたかった。
そういえばこのブログでのハンドルネームを公開していなかった。
いろいろと考えた結果、『椋鳥健太郎』に決まった。
せっかくなのでこの名前に至った経緯を紹介しよう。
フリーにしてしまえばIDのときに候補だった『やわらかはなくそ』や『ペチョゲリ』など品位を疑われるものか意味不明なものにしてしまいそうだった。
それでも構わなかったが苗字と名前で構成されるその辺にいそうな感じにしようという方向性にした。
下の名前は、諸事情で改名した兄の改名前の名前『健太郎』をパクることで即決した。
メジャーな苗字じゃない・有名人にいない・漢字で書ける を条件に長い苗字探しの旅がはじまった。
まずは姓名判断をもとに結果が良かったものから5つほど候補を選んでみたが、どれも検索すると同姓同名の一般人の名前が出てくることが判明。
それも避けた方がいいと判断し、条件に姓名判断の結果がそこそこ良い(後に他悪くてもいいから総格だけ気にするに変更)と検索して1ページ目に名前が出てこないが条件に加わった。
良い案が思い浮かばず気分展開にいろいろ調べてみた中でこれは!と思ったものを見つけた。
四十八手だ。ふへへ。
見てみたら苗字にしても良さそうなものが割とあるではないか。
で、候補の中から選ばれたのが椋鳥というわけだ。
奇しくも最初の候補のひとつに近いものになってしまった。
動物のムクドリのように群れで行動するのは苦手中の苦手だが、害鳥として扱われることがあるというところは嫌われ者の自分にピッタリだ。
四十八手のほうを調べてみるのはおすすめしない。中でもハードなものを選んでしまった自覚がある。
ということで、今日から自分は椋鳥健太郎だ。ふん!
せっかくなのでブログのタイトルの由来も。
『7輪の花を持って逃げ続ける』
楽しいことひとりじめの精神と自分の逃げ癖を表したいがためにこのタイトルにした。
実はこのタイトルには元ネタがある。
仏前結婚式をご存知だろうか。
日本ではホテルや式場のチャペルでバージンロードを…といういわゆるキリスト教式が主流かと思う。
大手結婚情報サービスの某クシィではキリスト教式・神前式・人前式が三大挙式スタイルだと書かれていた記事があった。それほど馴染みが薄い。
『自分は結婚どころか恋愛どころか友達どころか人との縁がない』と絶対に言いきれる説得力ゼロな椋鳥が紹介する。
かなり昔の話だが、仏前結婚式に参列する機会があった。
仏様やご先祖さまにご縁を感謝し結婚を誓うという、縁や結びつきの大切さを強く感じられるような式だ。
参列して少しでいいから広まってほしいなと思うほど良いものだった一方で、自分には縁というものがなさすぎて先祖代々に申し訳なさを感じてしまった。
話を戻そう。仏前結婚式は宗派によって式次第に違いがあるのだが、その時参列した浄土宗のものでは行華(あんげ)という儀式がある。
そこで出てくるお釈迦様の前世のお話が元になった。
気になった人は『仏前結婚式 行華』で検索すると出てくるはずだ。
この話をはじめて聞いた時にえらく感銘を受けた。
というのも、当時からよく聴いている曲に関連するワードが出てきてひとり心の中で興奮していた。
後々調べてみると行華とは全く関係なかったが、今でもその曲を気に入って聴いていて自分にとっての花のような大事な存在になった。
ちなみにこの結婚式の新郎新婦が他でもない兄夫婦である。
先程出てきた兄の改名もやましい理由があってというわけではない。僧侶になるための改名なのでご心配なく。
嫌われているはずの兄の名前をパクり、ブログのタイトルにする。
椋鳥健太郎、とんでもないアホである。
この記事もサグラダファミリアと化しそうなのでこれで一旦終わりだ。
後半のブログタイトルについての件でいろいろと調べてみたが、結婚なんて眩しすぎた。
特に某クシィ。幸せ一色の雰囲気をみているだけで虚しい感情しか出てこなかった。
祝福や羨望よりも虚しさが真っ先に出るなんて椋鳥は卑しい人間だ。こりゃあ何事にも縁がなくて当然だ。
よし、どうにか前回の件は守れた。次何書こうか考えながら寝るとするか。
ゴールデンウイーク中に書きたかったと思っていたものかいまさら自己紹介か。
今見てる動画で特技についてやっているから自己紹介にしようかな。
今日も生きてしまった。明日生きてたらごめんなさい。